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今週の政治、3月31日

今日が年度末である。いよいよ明日から租税特別処置法が期限切れとなる。ただし与野党が最終的に合意して、ガソリンの暫定税率以外の日切れ法案は二ヶ月だけ延長することで緊急可決される見通しである。いよいよ、テレビ等で報じられているように、ガソリン等の暫定税率の期限が切れて、値段が一リットル当たり25円程度値下がりすることになる見通しである。しかしこの税金は蔵出し税であり、4月1日以前に仕入れたものは、税率が高いままになっているので、明日から値段を下げるとなると、販売店の負担ということになる。

そうだからと言って、下げないでいると、近くで下げるガソリンスタンドがあれば、そこに客を取られてしまう。販売業者にとっては、痛し痒しになる。一時は混乱する場面も予想されるものの、それはそれで何とか落ち着くところに落ち着くものではあるが、資金繰りに支障をきたすスタンドも出てくると思われる。果たしてこの混乱がどのように収縮されていくのであろうか。

国会は、衆参両議院で勢力図が逆転しているので、何も決められないまま、一ヶ月も空転している。与党は今解散したら敗北の公算が非常に強いので、少しでも先に延ばして、より有利な状況の時に解散総選挙を打とうと思っているだろうし、野党は一日も早く、解散総選挙にもって行きたいと思っている。現在の野党の揺さぶりが、「こうなったら一度民主党に政権を任せてみたらどうだろう」、と思う有権者もいれば、「何でも反対ばかりする民主党が政権をとっても上手く行くはずがない」、と思う有権者もいるだろう。その結果は(どう政局を動かしていくのか)、誰にも予想がつかない。

「こんな状況の中では、誰が総理になっても同じ結果である」と、よく言われるが、それはそうではないと思う。人が代われば物事の捌き方が変わってくる。安倍首相から福田首相に代わっただけでも、改革が進まなくなったり、物事の動きがゆっくりになったり、これだけ変わったのである。自民党は、福田総裁のままで総選挙を戦うのか、頭を代えて戦うのか? そんなことも議論されるくらい厳しい局面を迎えていると思う。

早く何とかしてくれないと、政治は経済の一歩先を行くのだから、経済に悪い影響が出てくる。アメリカの株価は下げを止めているが、まだこれからどうなるか分からない。
そんな中で、今日のテレビ討論会などみていても、もうこれは急転直下の解決はありえないと思われる。私などは、道路特定財源を来年度から一般財源化するという総理の思い切った政策展開を引き出しただけでもう充分なのに、なぜこんなに民主党は無理押しするのだろうかと思っている。上記したように、この押しが結果どう転ぶかに注目したいと思っている。

話は少し変わるが・・・。先日菩提寺での彼岸会の法要に出席した際、八尾市歴史民族資料館の学芸員である李先生(女史)の「河内木綿の歴史と魅力」と題した記念講演があった。今から200年ほど前は、私が住まいする八尾市を中心とした河内平野には木綿の花が咲き乱れており、それが紡がれ布に織られ、一時期全国を席巻したことがある。それが「河内木綿」である。

木綿には①白木綿(これは縦糸も横糸も綿の花の白のままの糸で織るオーソドックスな布でそれを仕入れた人が染めに出していろいろなものに加工する。この白木綿が一番出荷量が多かったらしい)

②縞木綿(これは縦糸と横糸をそれぞれ違った色の糸を使い、織りたい縞模様に合わせて糸をセットするものである) ③筒書木綿(これは複雑な模様や絵を白木綿からオリジナルで染めていくもので、下絵に合わせてケーキのデコレーションを作るときのように、筒に入った糊で下絵をなぞって染めるもので、なかなか手の混んだ染めである)
④型染め木綿(これは下型をこしらえておき、それを基にして一方一方丹念に形の上から糊を張っていき、それを藍の中に入れて染める方法である)、この4つが木綿の染め加工である。特に③などはなかなかの芸術品である。

私の知識では、河内平野に木綿の花が咲き乱れ始めたきっかけは、1704年の大和川の付け替え工事のあとからである。奈良の山会いその源を発した大和川は、柏原市に入りその流れを北に変えて、河内平野を合流と分流を繰り返しながら淀川に繋がっていた。当時の河内平野は、今の大阪城がある場所が台地になっているが、それ以外は(特に西側は)湿地帯が多かった。大雨が降ると河内平野は洪水にみまわれて、多くの人命と多くの収穫を奪われていったのである。これでは何時までたっても河内平野は豊かにならない。

そう考えた地元の庄屋を始め(中甚平衛らを中心とした)名士たちは、その大和川を西に向けて流れるように付け替えようと考えた。何回も何回も嘆願した。艱難辛苦の末、遂に幕府の許可を得て、僅か数ヶ月で今の大和川に付け替えは成功し、流れは柏原市から西に向かい堺を通り、今のように大阪湾に流れることになった。そして旧大和川の跡地には多くの新田が開墾され、綿の木が植えられたのであった。

やがて河内平野には木綿の花が咲き乱れたのであった。それが河内木綿の発祥である。そして、李女史のお話では、それ以前にもすでに八尾市の高安村や久宝寺村では、綿の栽培が始まっており、それは江戸時代に書かれた「河内名所図会」に載っているとのことで、それを拡大したパネルを見せてくださった。

新田開墾に力を尽くした豪商や庄屋や土地の人々は、「必ず河内平野に木綿の花を咲き乱れさせてみせる」そう誓って頑張ってきたのであろう。そして本当に河内木綿の花が咲き乱れたのであった。その辺のことは、堺屋太一氏の小説「俯き加減の男の肖像」に詳しく書かれている。李女史の言われるのでは、大和川の付け替え工事が終わって約100年後の年号が記された筒型染め木綿、特に鳳凰を図柄にした大風呂敷などが、河内の民家に残されているところから考えて、当時の河内はなかなか豊かな土地だったとのことである。

私の菩提寺にも、数多くの河内木綿の織物が残されている。近在の在家信者から風呂敷や着物、仏壇にかける飾り布などの寄進された品々が今も残っている。その中には寄進した年号や名前が記されている。ペリーが来航した時期の年号が記されたものも出てきた。さすが400年の歴史を持つ菩提寺だけのことはある。この日は郷土の歴史を勉強できた一日であった。

昔は、このようにそれぞれの地域にそれぞれの文化や風土があった。それが経済の発展とともに、一極集中が強くなり、いまや地域は冷え込んでいる。果たして今進められている政治闘争の結果が、地域にどれだけの影響と効果をもたらすのか関心をもって見ていこうではないか。
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