スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

今週の政治、7月28日

景気がじりじりと下降線を辿っている。厳しい暑さだから余計感じるのか知れないが、各地を廻っていて良い感触は少なくなっている。第一元気がない。ガソリンや重油の値上がりがあらゆる分野に影響を与え始めている。2011年度のプライマリーバランス(国債償還と金利支払いの費用を除く歳出を国債発行を除く税収ほかでカバーすること)をゼロにするという政府の大きな方針が崩れそうになっている。景気の低迷により、予定している税収が確保できないのが大きな原因である。

先週この紙面で書いたが、アメリカは景気下降と金融危機に対して、バブル崩壊当時の日本の対応の10年分を1年で実行してきているスピードは大したものである。それでも今度は政府系の住宅ローン会社の経営が厳しくなってきたので、ここに何らかの手を打つだろうというニュースがあった。これは日本の当時のことに准えると、住専に対してどうするかと言うときと同じだと思う。わが国では小出しの処置に終わったのが、その後の泥沼の10年間に繋がったと今頃になって検証されているのだが、アメリカ政府はこれにどんな手を打ってくるかをまず注目したいと思う。

サブプライム問題は尾を引き、これからも何度となくその成り行きが報道され注目されると思うが、日本はサブプライムの直接の影響はそう多く受けていない。しかし経済の実態はアメリカよりも深刻な状況を想定させる数字が現れている。まず一つ目。物価の上昇は年率で1.9%である。これまではマイナスまたはゼロだったので、急な物価上昇だと言われるが、数字だけならこれで欧米並みであり心配は要らない。

ただし問題はその中身である。上がっているのは生活必需品で、食べ物から着る物から全てがあがっている。しかし値が下がっているものもある。パソコンやテレビや電気製品等は、大幅に値が下がっている。それで年率1.9%だから困るのである。生活実感商品の値段が上がっているから物価上昇の実感が強い。次は給与が下がっているということである。もちろん大手の社員は幾分上がっているのだが、下に書く派遣やパートさんの比率が高くなったので、全体でみたらやや個人収入は減っているか横ばいなのである。これでは生活必需品以外の大物の買い物が減ってくる。

GDPの半分は個人消費だから当然景気は下がることになる。これが会社の利益を圧迫する。三番目は意外に思われるかもしれないが、状況の中で金融機関がお金を貸さなくなってきたのである。裏返せば企業が金融機関への期待感が(あるバブル崩壊の処理のときに、嫌と言うほど酷い目にあったので、)なくなったり減ったりして、まずお金を借りないで乗り切る方法を考えるようになったことも大きい。

金融は経済の血液だから、それが回らなくなったり、回りが鈍くなると経済は活気を失っていく。これが今後の景気の大きな憂いの一つである。貸せないのか借りないのかは別として、血液の回りは悪くなる。金融機関だって、無理をして貸し出して不良債権を作ったのでは、先のバブルを学習効果ゼロと言うことになり、それこそ市場から退場を命ぜられる。だからそうそう貸せないのである。以上のように三竦みになっている。
一方不景気下の物価高。先週書いたスタグフレーションになったら、それはもっと困った状況になる。何としてもそれを回避しなければならないのだが、今の世の中にも、政治の進め方にも、希望を持ってわくわくするような事が何一つ感じられないのが心配である。世の中に期待感がないのである。

今や雇用数の約3分の1は非正規雇用者となっている。同じ時間働いて収入は半分以下である。これでは愛社精神を持てと言っても始まらない。バブルの崩壊から抜け出る手段として、いろいろと打たれた打開策の一つは、首切りという名のリストラであり、人件費削減のための非正規雇用者の増加であった。その結果リストラのために多くの優秀な人材を放出し、人件費の安くてすむパートや派遣社員で賄ってきた。なるほど勘定は合ったのであるが、それぞれの会社の力が極端に落ちてしまった。

そこに団塊の世代の大量定年が来た。何とか再雇用制度で高技術を後進に引き継ごうとしているが、一度退職して再雇用されたとしても、その人たちの情熱がもとのようにはなかなか戻らない。会社のモチベーションをどう保つかは大変重大な課題となっている。今やアメリカの景気を心配するよりも、我が日本のことを真剣に考えるほうが先のような気がする。

橋下改革の予算案が府議会を通過した。当初案よりも少々修正したのだが、ほぼ当初の目的は達成した予算案となった。これは各地を廻っていても大方の人が評価している。「ようやる。よう頑張っている」という評価である。先週この紙面で書いたが、前職がテレビで踊っているのと比較して余計そういう高い評価になっているようである。この改革案が実施され実際に痛みを感じ始める頃に、どんな評価になるかが見ものである。そしてこの橋下改革の影響は、いい意味で各市町村に浸透してくるはずである。ただし気になるのは前記している景気が下向きになっていることである。税収が減ってくるとまたさらなる改革が必要になってくるかもしれない。

大分県教育委員会の汚職が大問題に発展している。他の県や府ではどうなんだろうと皆考えている。ある人に言わせれば、こんなことは昔からどこでも常習化していることであって驚くに値しない。新しく教職に採用されてどこの学校に配属されるかどうかというときに、偉い人を知っているかどうかによって大きく変わるらしい。そこに金品が介在するからややっこしいのだが、しかも大金が商品券で動いているからこんな大事になったんだという人もいる。果たして真相はどうなのか知らないが。それにしても、そうしなければ採用試験に合格しないということになっていたとしたら、これはおお事である。真面目に努力している人が浮かばれない。

民間の人事でも多かれ少なかれこういうことはあって、支店長にでもなったら引いてくれた人にお礼するとか、ボーナスを貰ったら上納金?と称して上役にそれなりのお礼をしたとかそんなことを聞いたこともある。ただし私が勤めていた職場では一切そういうことはなかった。水戸黄門を見ていても越後屋が(いつのまにか悪の代表格とされているが)付け届けをもっていって良きに計らってもらっている場面が出てくる。そんな感覚ではなかったのかと思う。もう今の世の中そんな手は通用しなくなってきた。それは良い事である。正々堂々と頑張っていれば、誰かが必ず見ていてくれるそう信じて頑張っていくのが一番である。

「元気の出る話をお願いします」とよく言われる。それくらい今の日本は全国的に元気がない。ないというより出ないと言うほうが正しい。先々に希望が持てれば元気は自然に出る。希望のほかにもう一つは、目標があれば元気が出る。昔は、お腹一杯ご飯を食べたい食べさせたい。両手両足を大の字にして寝てみたい。テレビがほしい。洗濯機が欲しい。冷蔵庫も欲しい。三種の神器である。このように頑張って欲しいものを手に入れるという目標があり、希望があった。それがほとんど手に入った現代社会では、欲しいものはと聞かれても、「特にありません」と答える。

「不景気でもうあきません。やっていけません」と言う話を各地で聞くことがある。そんな時私はこう言う。「大きく大向こうを唸らせるような目標でなくても希望でなくてもいいから、何か一つ二つ頑張ってみよう」そんな目標をお互いに持ってみましょうよ。叶うときもあるし叶わぬ時もあるが、目標や希望をもつことが、それが元気の源泉だと思っているからそう言う。またピンチはチャンスと言うけれど、それは行動するからチャンスになるのである。なにもしなければ動かなければピンチはピンチのままで終わる。
目標とは、例えば、新しい会社と新規取引を推進しようでも良いし、在庫管理をキッチリやろうでも良いし、仕事の流れを改善して無駄を省こうでもいいし、小さなことから一つずつ実行に移すことが肝心である。

学生なら、希望の大学に入れるように勉強しようも良いし、生徒なら席次を一つ上げられるように頑張ろうでも良いし、高校生なら、今年のインターハイに出場できるように頑張ろうでもいい。貴方が先生なら自分の生徒が生き生き勉強にスポーツに励み、正しい人間形をするために手を貸そうという目標も良い。まず自分の目標を持てば、それが希望になる。そして夢になる。元気の源はまず自分が目標を持つことから始まる。私は、元気を出す方法をそう言って講演で伝えている。人の決めたことに操られていた方が楽だから、自分の保身になるからといって毎日を過ごすのではなく、上から与えられた仕事の中で、自分で工夫をして自分の意見も加味して、上から求められている以上の成果を出して自分に満足できるものにしていくという努力と勇気が最も大切なことである。
スポンサーサイト

今週の政治、7月22日

本当にアメリカの景気がおかしくなってきた。サブプライム問題に端を発している。丁度アメリカの現在の状態は、平成2年から3年の日本の金融危機の状況と同じ様相を呈してきている。アメリカの金融筋の動きを報道で見ている限りにおいては、その頃の日本の対処よりも、よほどスピードが速く、てきぱきと打つ手を打っているように思う。大統領制と、議院内閣制の政治体制の違いかもしれないし、農耕民族であるわが国は、何かする場合でも右を見て左を見て、大きな抵抗がおこらないように長い間待つ。それは一年に一回の収穫を待つという民俗性からきていると思う。

狩猟民族であるアメリカは、その日に獲物を得られなかったら家族が飢えてしまう現実がある。獲物を獲るためには、どこへでも出かけていくという行動力と、短期勝負の民族性がある。だから打つ手も早いと言うことになる。ただし打つ手が早いと言うことが全て正解につながるかと言うと、それは言い切れないことであるが・・。とにもかくにもアメリカでは早く手が打たれている。

わが国で宮沢内閣時代の住専問題が起こったときのことである。たしか4500億円程度の不良債権に対する処理について議論されたときがあった。連日テレビはその事ばかり。時の政府をただ批判するだけ。宮沢首相は住専だけではなく、金融全体に不良債権を早期に処理するために不良債権処理に公的資金を投入することをほのめかした。マスコミは一斉に宮沢首相を叩いた。その結果して思い切った公的資金は投入されなかった。小出しの処理に終始したのであった。その後事態はドンドンと悪くなり、果たしてどれくらいの不良債権があるのかさえ分からないという泥沼に入っていくことになるのである。

どうにもならなくなって、小泉内閣のときに不良債権を巨額の公的資金を投入しての処理が断行される。その処理の仕方が今までの反動からか、突然査定基準を変更して、これではとっても中小企業に融資は出来ないし、今ある取引先も不良債権として何らかの引き当てをしなければならないくらいに、すざましい厳しすぎる査定基準を適応したのであった。そしてこれに対する対価は膨大な損出となってわが国の経済をその後10年余りを「失われた10年」と言われるまでに落ち込んでいくことになる。

もっと早く手を打っていれば、処理に伴う国民的損出は半分以下で済んでいただろうという話が今頃になって出てきている。わが国の民族性は、待って待ってどうにもならなくなるまで引き伸ばして、大方の人が何とかしろと言う声を上げてから、今までの何倍ものきつさと激しさで動き出すものだから、結果は大損害になっていく。

今大阪府議会で大議論している財政再建問題もこれと同じ構図である。どうにもならなくなってから手を打つ。それも橋下知事が就任したから改革が始まったのであって、前の知事ではまだまだ安きに流れていたかもしれない。府議会で橋下知事が16時間と言う長時間の質疑に答えている時、別のテレビでは前知事が、派手な服を着て若いタレントと笑いながら踊っていた。トップだった人がこれでは在任当時に改革案は出せないと思った。辞任したからと言って、元トップがのた打ち回っている元の役所を横目にしてこの状態で許されるのかと、違和感を持ったのは私だけではあるまい。トップなのだから・・。責任はあるはずである。せめて地方自治の討論会でテレビに出る程度ならいいと思うが・・。

冒頭に書いたように、アメリカの景気が深刻になったとしたら、我が日本の景気にも大きな影響がでることは間違いないことである。不景気下の物価高。スタグフレーションという。学校で習った景気の波は、景気が良くなっていくと物が売れ、物の値段は上昇し、それが企業の収益となり、社員の給与が上がる。それを消費に回すから更に景気がよくなるという循環である。又その逆もある。

前記はインフレ傾向であり、下記かはデフレ傾向となる。ところが物価は上がるが景気が一向によくならない状況というものが時に起こることがある。ことの始まりは材料費の高騰が原因となる。材料費は上がるが、それを仕入れて加工して製品や商品にしても、それを販売価格に転嫁して上げることが出来にくくなるのである。当然のことながら企業収益は悪くなる。

だから社員の給与を上げることが出来ない。これらは日常の生活必需品にも値上げとして及び、個人の生活を圧迫していく。個人消費が伸びなくなる。大物消費が低迷する。例えばマンション購入や自動車の買い替え等にそれが顕著に現れる。まさに現在その傾向が現れ始めている。

今回の「ことの始まり」となるものはどこから出てきたのであるかと言えば、原油の高騰からである。2008年、サブプライムローン問題に端を発した米国不景気から資金の流れが原油市場に流れて原油高となりその結果各種コスト高から物価が上昇し、スタグフレーションとなることが現実味を帯びてきた。日本銀行の白川方明総裁は、同年5月27日に開かれた参議院の財政金融委員会で日本がスタグフレーションに陥るおそれがあるという認識を示している。

インフレもデフレも我々の生活にとって厳しい状況であるが、これは「過度の」という但し書きが付く。適度なインフレ気味経済は悪いことではない。また適度なデフレ傾向経済は(物価が上がらないと言う意味から)悪いとばかりは言い切れない。過度のインフレやデフレは困るのであるが、スタグフレーションは、過度でなくても大変深刻な問題となる。なにしろ給与や収入が増えないのに物価が上昇していくからである。当然生活水準は低下していく。貧富の差が一層開くことになる。

この原因がアメリカのサブプライムローン問題であり、そこから逃げた巨額の投機資金が一気に原油価格に流れ込み、原油の高騰を招き、今もそれが続いている。ことがエネルギー問題だから深刻である。日本でも「エコ」という言葉が叫ばれ、エネルギーの節約をあらゆる場面で行っていくキャンペーンが進んでいる。そして今や石油に替わる代替エネルギーの開発研究が急ピッチとなっている。

富が中東の石油産油国と、一部の巨額投資機関に集っていくことは、世界の経済にとって由々しき問題である。アメリカの世界トップの金融グループであるシティとメルリが巨額の不良債権を計上したというニュースが世界を駆け巡った。まだまだサブプライムの影響は今後も深刻になっていくだろうといわれている。

もしもである。これが引き金になってアメリカの国債が大暴落でもしたとしたら、巨額のアメリカ国債を抱えている日本の機関投資家は大損害を蒙ることになる。各大手金融機関も年金機構もそして郵政も巨額の投資をアメリカ国債にしている。一寸先は闇と言う状況になってきている。ここしばらくのうちに、日本の大手から中堅にかけての企業の倒産が(特に建設関係)発生する危険性すら囁かれている。

先週末に静かに伝えられたニュースだが、元長銀の経営トップ三人が粉飾決算事件で起訴され、最高裁で無罪の判決が言い渡されたニュースは、その当時の異常とも言える金融機関バッシングの国策捜査に間違いがあったことを示す結果となった。金融機関に身を置いていた私などからは、当然の判決と言うことである。そもそも債権の査定基準を突然厳しいものに変更したことが間違いであった。

これなどもマスコミと金融庁がある意味で一緒になったようにして、厳しい査定が正義だと、今までの査定基準を無視して急に厳しい査定を押し付け、それによってどれだけ多くの企業が倒産に追い込まれたか計り知れない。確かに倒産させなければならない会社もあったろうが、中小企業と大企業を同じ査定基準で査定するという政策で、倒産を余儀なくされた多くの中小企業があったことをしっかりと脳裏に焼き付けておくべきである。

その上効率を重視する当時の政府から、改革の名の下に、半ば強制的に合併を押し付けられる金融機関も数多く出たかを思い返せば、世論も時には間違った方向を示すものとして真摯に受け止めなければならないことである。それで地域金融は本当に中小企業のために役立つ使命を果たせる体制になっているかといえば、その反対である。

もっと言うと、あの宮沢内閣のときに、宮沢首相の言っている一気に膿を出すために早期に公的資金を投入して、ソフトランニングでことの収拾を図ろうという政策に、当時のマスコミは一斉に集中砲火を浴びせ、宮沢首相を退陣に追い込んで行った、あの時の世論形成に真の間違いがあると思うのである。私はあの時本部で営業推進の常務だったが、宮沢さんのこの政策は大賛成であった。困難に追い込まれたら打つ手は早いほうが良い。早く立ち直れるし損も最小で済むのである。

今週の政治、7月14日

福田首相の見せ場である「洞爺湖サミット」が無事終了した。地球温暖化問題も微妙な表現ながら一歩前進といえる程度にまとまったし、北方領土返還問題も少しは前進を見せる気配もうかがえる。そして拉致問題がはじめて公式発表で文章になった。福田首相はまずまずの成果を上げたといえよう。しかし問題はこれからである。どう実行に移していくのかである。特に拉致問題を進展させてもらいたい。

大阪名物「くいだおれ」が閉店した。全国的なニュースとしてテレビ各局が報道した。心斎橋の名物は人形「くいだおれ太郎」とかに道楽の大きなカニの看板と、阪神タイガースが優勝したら多くの人たちが飛び込んで優勝を祝ってきた戎橋である。それにしてもこの「くいだおれ」の幕引きイベントは見事なものである。報道されているところによると、世の中が変化してきて食の趣向が変わってきて、最近の売り上げは最盛期に比べて半分くらいになっていたようである。

売り上げが下ってくるとそれを挽回しようとする努力がなされる。「くいだおれ」でもそれは変わりなかったのだと思う。しかし思うようにならなかったのであろう。最近伝えられている産地偽装や等級偽装、使い回し等に走ったらそれこそ元も子もなくしてしまう。「くいだおれ」は閉店を決断した。もっと別の方向に展開を求める方法もあったかもしれないが、閉店の決断は端で考える何倍もの苦しみがあったはずである。久しぶりに爽やかな引き際を見た気がした。ここの経営者家族はなかなかのプロデューサーであると思った。

二年前になろうか、三年前になろうか、関東の某高等学校が夏の甲子園で全国制覇した。ここの監督は名監督で、何回か甲子園で全国制覇している。それもこの大会を最後に引退すると宣言して臨んだ甲子園で見事に引退の花道を飾る全国制覇を成し遂げたのであった。そして予定通り勇退した。見事な花道であった。ところが最近の新聞報道によれば、今年から同高校の監督に復帰したとのことであるが本当のところは確認していない。

もしそうだとしたら、意見は二つに別れると思う。「やっぱりあの人しかないのか。頑張ってもらいたい」というものと、「願ってもない勇退の花道だったのに、ここで復帰したらあかんがな・。」人間には誰でも「俺が・・」という欲があるし、もう一度花を咲かせたいという色気もある。しかも70を過ぎて、またまた要請されると言うことは大したもんや。

近い例ではテニスの伊達選手である。勇気ある行動であるし、若手に刺激を与えたいとの思いも分かる。しかしウインブルドンには出場は無理だろう。オリンピックにもいけないだろう。むしろ最初の引退が早すぎたように思うのは私だけではあるまい。今後どんな生き様を見せてくれるのかに期待している。

星野監督が二年前に巨人の監督になるのではないか、と騒がれた時があった。ならない方がいいと思ったが、やはりならなかった。もしも今後星野さんが巨人の監督になるようなことがあったら値打ちを下げると思う。星野さんはリーダーの資質を備えている名監督だと思う。その星野さんが怪我をして肋骨を三本も折ったという。大事に至らずに良かったと思う。北京で金メダルを取って、年明けの第二回WBCで二連勝してもらいたい。

話しをがらっと変える。介護の現場が苦しんでいる。働き盛りで収入を得なければならない人が、親を介護することになり働きにも出られない。当然収入は限定される。介護施設に入れようとしてもお金がない。介護する人もされる人も先々の不安がある。こんな立場に追い込まれている人が多くなっている。日本は長寿国になった。しかし歳を重ねてこんなことになれば、果たして幸せな社会だといえるのだろうか。

一方では無駄な税金が使い放題にされている。政治の役割は、集めたお金をどう配分するかである。先週は、学校の先生が金品を渡して昇進のお礼をしたとか、自分の子供を狭き門である採用試験に手心を加えてもらおうと金品を贈ったとかの事件が発覚した。そして氷山の一角といわれている。

民間の話ではあるが、我々の頃の就職は縁故しか取らないという会社があったものである。試験は形ばかりであっようだ。今から言えば不公平である。それが少しずつ改善されてきて、今はほとんどの会社では機会平等である。不正なことをして無理に先生に採用されても、本人に能力がなかったら生徒に教えられないではないか。こうしたことが教育現場の低下を誘発しているとすれば由々しき問題である。

先週もモンスターぺアレントをみた。最後は余りにも強い要求を保護者がするのを見て馬鹿らしくなったが、反対に考えさせられることも多かった。学芸会の「あかずきんちゃん」で女の子がみんな「あかずきん」になるところなんか、私が先週この紙面で書いた「白雪姫」とまるっきり一緒だったので、やっぱりどこでも起こっているんだなぁと感心と得心を一緒にした。

同時間帯にNHKが裏番組でヤクルトのキャップテン宮本慎也選手の生き様を放送していた。ビデオでとってあとで見た。誰もが主役になれるわけではない。自分の持ち味をしっかりと知って、三流の中の超一流を目指しているという話であった。それはあのヤクルト時代の野村監督に言われたのだそうだ。野村監督時代のミーティングの内容を記したノートも紹介された。教えるほうも情熱で燃え盛っているし教わるほうも真剣そのもの。大した努力である。そのたゆまぬ宮本選手の努力の継続が、野球の国際試合にはどの監督からもキャップテンに指名される信頼とリーダーシップを習得することに繋がったのだろうと感心した。

果たして「あかずきんちゃん」で甘やかされた子供たちが、大きくなって宮本慎也になれるだろうか。自分の持ち味を知り、脇役の中の超一流を目指す勇気もなくて、ただ自分よりも出来る同僚の足を引っ張り、かつ自分の功績を上げたいために、マイナスになることは隠して、結果的に企業を揺るがす大事にしてしまう。それを見破れないトップ。そんな構図が定着しつつあるとすれば先が恐ろしくなる。

環境が変わり上が変われば捌き方が変わるし、登用する人材も変わる。それは当然のことである。プロ野球で言えばトレードがそれに当るかもしれない。新井を広島から獲得したからチーム内で刺激が起こり、相乗効果で阪神は勝ち続けている。一方、新井獲得の保障の形で広島にトレードされた赤松選手は、打撃開眼してレギラーを獲得、打ちまくっている。これなどは環境が変わってどちらも成功したいい例である。

上が変わって登用する人が変わって、この例のように力がありながら芽が出なかったのに、役目を与えられて急に成長する人もいる反面、絶対登用してはならない人を、上が表面的なものだけで登用して大変なことになる例も一杯ある。人事の難しさと面白さであろう。

景気は夏から秋にかけて下り坂に入る。マンションの売れ残りが多くなっているようだ。但ししっかり売っている会社もある。このように全ての業種で格差がますます広がっていく。こんな時こそ、トップの判断が重要となる。今何をなすべきか、攻めるのか。引くのか。どんな戦略を展開するべきか。会社は毎日生きている。生きているものを変化させるのは動きながら変えていくのだから本当に難しい。

今週の政治、7月7日

今日は七夕の日。一年に一回牽牛と織姫が天の川を渡って会う日とされている。幼稚園や小学校では、笹に願い事を書いた短冊をつって、願いが成就することを祈るのである。そんな日から洞爺湖サミットが始まる。我々の願いは聞き届けられるだろうか。

メイン議題の地球温暖化防止も実に大事なことであるが、それと同じくらい、日米首脳会談の際に、そこで拉致問題にどんな話し合いがなされるのかを注目した。共同記者会見の場でブッシュ大統領、「拉致問題で日本を置き去りにはしないそして」と珍しく力を込めて語った。このメッセージが本心であることを信じ、拉致問題が前進することを期待する。今日からのサミットで世界を震撼させている原油高騰問題にも何らかの解決策が話し合われるを期待したい。洞爺湖といえば、今から8年前に、有珠山の大爆発のあと、笑いで慰問して、洞爺湖に浮かぶ観光船の中で寄席をしたことを思い出す。

日銀が1日に発表した6月の短観は、原油高と外需減退とが企業心理の悪化に拍車をかけていることを表している。原材料高を受けて企業は販売価格を上げる努力を始めているが、それもなかなか思うようにはいかない。特に中小企業は価格転嫁をするには厳しい状況である。大企業製造業でも、前回調査時よりも景況感が6ポイントも低くなっている。原油価格の上昇が激しすぎて、エネルギーや原材料価格の上昇が企業心理を冷やしているのである。大企業の製造業ですらこれだから、他の業種はもっと厳しくなっている。日本の景気を支えているのは、外は輸出であり、内は個人消費である。その両方が減速していく状況である。景気も「気」が大きく左右する。先行きよくなると思うとお金も使う。先行きが厳しいと思うと財布の紐はきつくなる。

農業と漁業は長く日本の生活の基礎を支えていた。その漁業が原油高により燃料の値上がりから漁に出ても赤字になるとなれば、根底から食が壊れかねない。農業も小農家では米を作っていては生活がなりたたない。今月全国で一斉に休漁日が設けられたらしい。原油高一つを取ってみても、巨額のオイルマネーが一箇所に集まりすぎてしまった弊害である。資源を持つ国(特に原油)が栄えていく。しかしその資源も有限である。いつか枯渇していく。石炭から石油に代わったように代替エネルギーの開発が急ピッチで進んでいる。世界の経済は、今回の予想できにくかった原油の投機による高騰で、根本的に変わっていくように思う。

この未曾有の事態に、先進国といえども有効な打つ手がない。市場のことは市場に聞けといった大蔵(財務)大臣がいたが、まさに今はその通りの状況である。物の値段は需要と供給のバランスで決まると教えられたのだが、その基本まで巨額オイルマネーは覆してしまうのであろうか。日本の株価が下落している。一つには原油だが材料高につながり、企業収益を圧迫して、業績が悪くなるという読みがあり、外人投資家の意欲を減退させていることがあげられる。しかしそれが全てではなく、利食いによって今は売りが先行しているということであろう。まぁ株は上がったり下がったりするものである。そう一喜一憂することではない。

そしてついに日銀も景気見通しを下方修正した。政府や日銀が出す景気の見通しは、季節の代わりに衣替えをする時と同じような傾向を示す。冬から春をすぎ夏に変わるときは、かなり暑くならないと薄着に着替えないものである。それは徐々に体感温度が変わることと関係している。反対に夏から秋、そして冬に変わるときは、かなり寒くならないと厚着に代えないものである。これと同じで、景気は確実に下降に向かっているのに、政府や日銀の発表はまだ「景気は横ばいから下振れを覗く状況である」程度のコメントしか出さない。この辺のことをしっかりと認識して政府や日銀の公式コメントを読むことが大切である。

1日同じく財務省が発表した07年の決算では、法人税収が想定よりも1.2兆円下回ることが分かった。ただし2兆円の歳出の使い残しが出たので、決算は予算よりも約6千億円の純余剰金を計上することになった。低金利で国債の利払い額が予想よりも少なくて済んだのが大きな要因と発表している。法人税収は昨年当初は順調に推移しており、自然増収さえ視野に入る状況であったが、昨秋から景気が徐々に低迷し始め、特に年明けからは顕著になってきた。そのままの状況が本年度に入り継続しているので、景気が低迷のまま推移したら、今年は財政面でも一層厳しくなるだろう。

モンスターピアレントというテレビドラマが始まった。一回目をみたが、本当にこんなことがあるとは到底思われないが、それが本当なのだそうだ。テレビの内容がそのままばっちりではないにしても、それに似たことは日常茶飯事のように学校現場で起こっているらしい。先生の中に欝を発症する人が増加していることも事実である。もちろん一般企業にも欝を発症する人が増加しているのであるが・・。

ある笑い話がある。幼稚園の発表会で、「白雪姫」の劇をやったところ、保護者からの「なぜ私の娘は白雪姫をやらせてもらえないのか」との苦情が多くさせられ、本番の舞台では、白雪姫が15人にもなってしまったと言うことである。

競争を極度に嫌う学校現場(特に公立の小中学校)。そして一方では公立の中学校からでは有名高校や大学には合格できないからと、私学の中学校を目指す生徒が半数にも増えているという現実がある。ここでは激烈な競争が行われているのである。その上に、保護者からの自分の子供さえ良かったらいいという圧力に学校現場は悲鳴を上げているのである。そんな保護下にある学生たちが、大学を出て就職した途端、そこは競争の真っ只中。

それでも、先頭を走るものを正々堂々の競争で追い抜くのは大変結構な切磋琢磨であるが、やれる奴を潰そうとする妬み嫉みが渦巻く(嫌な)社会になってしまった。表現の自由と言う理論が壁になって、匿名の掲示板に暗殺を予告する書き込みまで現れている。そんな社会が待っているのである。その兆候の一つが、親が参入してくるモンスターピアレントであるとすれば、これは先行き危険なことになるのではないか。と、危惧されている。

これは自分だけがよかったらいい。他人や部下はどうなってもいい。人を助けていたら自分が落ちていく。そんな社会の中にどっぷりと入り込んでいくという、今やその道を進んでいっているのではないか。と心配になる。新婚旅行で軽い気持ちで世界遺産の寺院に落書きをして、有望高校野球部の若き監督が辞職せざるを得なくなった事件は、味噌も糞も一緒にがんじがらめにしてしまう現在の社会構造を象徴しているようである。そこには洒落やアソビ心が微塵も介在する余地がない。では落書きはいいのですか?と聞かれたら、それはよくないことだと答えるが、それが職を辞さなければならないことになるということが恐ろしい。

エビで鯛を釣ろうとする詐欺事件があった。これは騙す奴も悪いけど、騙されるほうにも隙があったといわれても仕方がない事件だと思うが、産地偽装や等級偽装など、消費者を騙すやり口の業者は言語道断である。それと落書きとは次元が違うように思うのだが・・。「貴方は外国に旅して世界遺産に落書きをしますか」と言われたら、「それはしません」と答える。そして本当に落書きなどしない。

しかし日本の各地を仕事で訪れて、先日も上杉謙信の菩提寺の山門に数多くの千社札が張ってあるのをみて、昔舞台で漫談をしていたころに作った千社札を貼りたい気持ちになったことがある。その時は千社札を持ち合わせていなかったから事なきを得たが、これからはそんなことも注意しなければならないなぁと思う。解任された高校の野球部の先生も、人生は長いしこれからである。捲土重来を期して、数年後どこかの高校で見事な大輪の花を咲かせてもらいたいと期待している。ある先輩が言った。「無事事故にも会わず災難にも会わず死ねたら万々歳の世の中やナァ」と・・。そんな言葉が実感される世のなかになっている。

今週の政治、6月30日

先週骨太方針2008年が発表された。今後この基本方針に基づいて運営していくというものである。詳しく書いている新聞を何紙か読んだが、結局は総論を並べたものになっている。まぁ基本方針だから、それも仕方ないのかもしれないが、こんな程度のことなら、誰でも簡単に言うことができる程度のものである。

歳出は「最大限削減する」と言っている。最大限とはどのくらいのことを指すのかが分からない。しかしこう書かれたら読んだ人は皆賛成である。少し具体的だと思う箇所としては、小泉・安倍路線の歳出削減路線を踏襲するというくだりであろう。ただし、社会保障費や公共事業費等の分野の削減幅については、明示しなかった。先送りしたのである。年初に明言した、道路特定財源を増え続ける社会保障費に回すということも言わなかった。

先日首相が消費税引き上げについてのアドバルーン(観測気球)を上げたが、すさまじい反発があったので、消費税を含む税制体系の抜本的な改革について早期に実現するという表現にとどめ、消費税引き上げの時期は明示しなかった。明示できないのは当然であるが・・。

私は思うのだが、大阪府の橋下知事のように、まず職員の給与からカットしてこそ、国民に負担を求めることが出来るのではないか。それなのに出てくる話は、税金の無駄遣いを通り越して、掠め取っているといわれても仕方がないような状態である。国会議員の歳費も減額して、議員数も削減するくらいの覚悟がなければ、消費税の引き上げなんて、この事態(原油高騰の影響で消費者に直結する物価が物凄い勢いで上がっている)を前にしては、とっても消費税引き上げ議論なんか、お呼びでないと国民から一蹴されてしまうだろう。

一方経済成長については、概ね2%成長を目指していくとしている。上げ潮路線の人たちは、3%を目指すべきだしそれも可能であると言っている。たった1%だが、これが先に行くと途方もなく大きな差になってくるのである。さぁ、福田内閣はどんな舵取りをしてくれるのだろうか。心もとないが、現在の政府に期待するしか方法がない。

まぁ今の段階では、なんら具体的な展望が見えないということである。しかしこれもある意味仕方がないのではないかと思う。原油が際限なく高騰し、わが国の国民の生活を直撃し、ますます暮らしにくくなっていくし、それはわが国に留まらず、世界共通の問題になっているのに、骨太の方針なんて程度のところで、抜本的な解決策を具体的に示せるはずはないのである。

竹中元大臣は、「こんな時には、わが国のような資源を持たない国では、生活水準を落とすということを考えなくてはならない」と公言している。人間は今よりもよい生活がしたいと思う欲があるから、世の中が発展していく力になるのではないのか。もうこれでいいわとかこれよりも水準が落ちてもいいわと思ったら、坂を転げ落ちていくと思うが、現在を取り巻く諸環境を勘案したら、これも一理あるような気がしてくるから恐ろしい。さらに、「世界から安いものを買ったらいい」とも言っていた。その通りだが、特に食に関するものの場合、その安全は保障されるのかというと甚だ疑問符が付く。まさに難しい時代に突入した。

今、世界は投機資金に翻弄されているのである。一握りのところに富が集中している。これは昭和46年の石油ショックと比べ物にならないほどの大危機であると認識をしなければにならない。あの時は、石油価格が高騰し、物不足がくるとの風評が流れ、売り惜しみ買いしめが激しくなって、物の値段は年間で20%も上がったのである。しかしその時期経済は右肩上がりであり、物価の上昇を見極めながら、給与も同程度の比率で上がったのである。給与があがれば生活に窮することはない。かえって経済規模が大きくなる。

今回はこれと全く異なる状況が現れている。物価は上がるが、給与は増えないのである。年収200万以下の人が千万人以上もいるとのことである。もちろん定年退職して、年金暮らしの人もこの中に入るし、定年後再就職しても給与は大幅に下るから、そんな人もこの中には入っているから一概に、200万円以下の年収に働き盛りの層ばかりがなっているとは言い切れない。しかし10年前と比べたら、様変わりである。

その原因の一つに、雇用体系の自由化も大きい。そもそも派遣というジャンルは、働きたい時にフレシキブルに時間帯を決めて働きたいという主婦層や、もっと気軽に会社から多くの干渉を受けずに自由に働きたいという一部若者たちの要望に応える形で規制緩和されたのであるが、いつの間にか人件費を低く抑えることに利用されてしまったのである。いろいろな面から考えて、すぐに解決できる妙案はないというのが正直なところである。だからこんな時こそ政治が先行してもらわないとダメなのである。

アメリカが北朝鮮の申告を受けて、テロ支援国家指定を解除することを発表し、北朝鮮は、核施設の中の冷却塔を爆破する場面を世界にテレビで発信した。もちろん核廃棄は大切なことであるが、無理やり核をつくり、それを廃棄するために5ヶ国が振り回されている姿は、残念至極としか言いようがない。そして日本の国民が不法に拉致されて、その存在すら明らかにされず、北朝鮮の瀬戸際外交が、なにかと批判を受けながら、その思惑通りに進んでいく姿は、国民の一人として慙愧に耐えないのである。

まぁ、はっきり言えばアメリカは日本の国民の悲願である拉致された人たちを無事に取り戻すということなんか、本気で考えていないと言うことである。そして福田政権も、本気で拉致問題の解決をしようとは思っていないのではないかと疑いたくなる。たとえ思っていても、世界の大国アメリカの威光を無視することは出来ず、這い蹲った外交に終わっていると言うことである。万が一このままで、拉致問題が置き去りにされるようなことがあったとしたら、日本と言う国は、国民が拉致されても、それを取り戻すことさえ出来ない情けない国になっているということである。本心から言えば、こんな国に高い税金なんか収めたくないと思う人は多いと思う。政治は、国民の生命財産を守るのが一番の目的であるのに。

山崎元副総裁が、「テロ支援国家指定解除は、諸問題解決のための一歩前進だ」といったらしい。それが本当ならありがたいのだが、どうも信頼がもてない。安倍前総理は、テロ支援国家指定解除に遺憾の意を表明したらしい。あんたがしっかかりしてくれないから、こんなことになったのだ。あんたは、元々北朝鮮問題に熱心で強気であったのが評価されて、一気に総理に上り詰めたのではないのか。と詮無い苦言も言いたくなる。横田さんご夫妻の表情をテレビで見るたびに、心が痛むのは私だけではあるまい。自分の子供が拉致されていたとしたら、心が張り裂けるに違いない。政府にもっと真剣に取り組んでもらいたい。こんな中途半端なことばかりして、税金は無駄に使う行政に、信頼を寄せることは出来なくなる。あぁ残念。いくら悔しがっても「大木のセミ」と一緒。なんぼ大声で泣いても大木はびくとも動かないのだが。

今週の政治、6月23日

中小企業の組織は、形の上では部長や課長などの役職があり、組織としての体をなしているように見えるが、ほとんどの場合、実態は文鎮型か羊羹に干し葡萄型である。上に丸いつまみが乗っていて、後は横一線、部長も課長も形だけの肩書きである場合がほとんどである。だから組織としての機能が果たせないのは当然である。これを本当の組織運営に変えて、上司は上司らしく部下を教育指導し、部下は一日でも早く力を付けて会社に貢献したいと思うように仕上げていくためには、口でいくら言ってもそれだけではほとんど効果はない。

ではどうすればいいかといえば、人事考課を導入することである。同時に自己申告制度も併行して導入すれば尚良い。今までは評価は社長一人が行っていた。だから人が人を評価したり、判断したり、部下の失敗をカバーしたりすることは実際なかった。ばらばらで個人個人が働いていたに過ぎない。これでは個人企業と変わりがない。そこに人事考課制度を導入すると、部下を評価するためには、日々部下の行動や仕事の出来栄えや、仕事の運び方に関心を持たなければならないし、改善指導しなければならない。その日々の成果や結果をこまかくメモしておかなければなんらない。

去年に比べてどう伸びたか、どう変わったかをしっかりと把握し、ではもう一段伸ばすためにはどう指導したらいいかが見えてくる。そこに自己申告制度を導入すれば、今、部下は何を考え、何を欲しているのかが分かってくる。しかも、それは部下を評価し、部下の心を知るだけではなく、自分も上司にそういうような目で関心を持たれているとなると、今までのような自分勝手な仕事では行かなくなることを知ることになる。それがじりじりと組織運営とチームで組んで仕事を成し遂げると言う心がけになっていくのである。しかしまだ本格的に人事考課を導入している中小企業は少ない。一考の余地ありと思うが・・。如何であろうか。

国会が閉幕した。そして与野党ともに自画自賛のコメントが発表された。昨年福田内閣が発足してからは、衆参のねじれ現象というやっかいな問題が壁になり、スムースに国会運営がなされなかった。インド洋給油問題・日銀総裁問題・原油の高騰による石油価格の上昇で、暫定税率問題が浮上し、石油価格が一度は下がったがまた上がることになったり、後期高齢者保険問題では、与党は野党に押し捲られて、まともな議論がなされぬまま、国会の閉幕となった。

他方、アメリカの北朝鮮へのテロ支援国指定国家解除問題に関連して、これまで進んでなかった拉致問題の急遽の話し合いや、よど号事件の犯人の引渡し問題が話題になる等、政治はアメリカという大国と北朝鮮という強硬国に揺さぶられ続けた。日本の政治と外交は、押されまくっていると我々には映るのである。これで独立国家なのかと残念である。そして政治の混乱と同じくして、経済はじりじりと下降線をたどり始めている。ここにきて個人消費にも微妙な影をかげかけ始めている。

社会保険料の負担増。とりわけ健康保険問題は、後期高齢者保険制度の新設により、大きな社会問題に発展している。先週地元の市から、国民健康保険の保険料の支払い通知が届いた。その明細には、後期高齢者保険への支援金等分として、今までの二段書きから三段書きになっている。こうしてあらためて書かれてみると、後期高齢者の保険制度では、一割が後期高齢者本人の負担、4割がその他若い人の負担、5割が国庫負担とされていることが認識できる。66歳になろうとしている私のようなものが、若い人の仲間入りで4割の負担の一つまみでも負担しているのかと思うと、後期高齢者を救えと言われているが、俺たちも救ってもらいたいと思ってしまう。

寿命は伸びている。ある程度の歳になると年金しか収入の糧がなくなるのがごく普通のことである。そこに負担が重なってくると、長生きをするのに息が詰まる。65歳からをお年寄りとしていながら、負担増になっている。わが国の今後を考えると、ワイングラスの形のような年齢構成になる。年寄りが多くなり、若い人が少なくなる。そんな国が発展したことは少なくとも今までの歴史にはない。

悲観論を述べているのではないが、今の生活水準を維持することはどう考えても難しいと思われる。だから、もう少しだけ水準を落として考えたら、(それでも世界レベルからしたら随分と上位なのだが)もっと心安らかに生きられるかもしれない。今のままでは、アクセルしか付いていない自動車と同じである。その上、ハンドルの遊びもない。事故が起こるのは当然である。このスピードについて行けない人たちは、心が壊れてしまうではないだろうか。

最近ここ数年、考えられないような事件が多発している。先日の秋葉原事件のようなことは、どんな理由をつけたとしても犯人の身勝手で絶対に許すことは出来ない。しかしこれを別の角度で見ると、果たして今のわが国は、努力したら幸せになれると言い切れる国だろうか。と問題を提議する人が多くなっている。よりよい快適社会を目指すというわが国の、どこまでも走り続ける民族性がこんな状況を起させてきた一番大きな原因ではないかといわれている。

他人との接触が極端に少なくなっていった。隣近所の付き合いもないに等しくなった。それでも生きられるから、他人との接触は嫌だという人が増えているのも確かである。そのくせ、他人からかまってもらいたい注目されたいと思う心が強いから、ここに大きなギャップが起きる。30歳前になっていても、心は一昔前の小学生低学年のレベルであり、母親や先生から注目を浴びたいためによくないと分かっていても悪いことをやってしまう。匿名性を悪用して、ネットに他人の誹謗中傷を書き込んで心を慰めている。それでも誰も自分に注目してくれない。もっと驚くことをしてやろうと思う。現実と架空の区別がつかなくなって?、大それた犯罪を犯してしまう。後悔あとに立たずとなる。

時代の流れに遅れてしまうがために、その役目を終えて自然淘汰される企業も多く出てきた。右肩上がりの時には機能したシステムが、右肩下がりの現在では機能しなくなったためである。余りにも幸せすぎて、社会が歪んでしまった。今時代小説がブームになっている。特に江戸時代の底辺に生きる町人や下級武士の話が受けている。その人情話には、今では助けてやりたくても助けたがために逆に法律で罰せられるがんじがらめのわが国の社会を懐かしむ裏返しだとも解釈できる。

今は、隙がないようで隙だらけの世の中である。人を許すとか、義理を欠かないとかの昔の好さがよくなってしまったようだ。小学校の給食の時間に先生が生徒に「いただきます」と、お米を作ってくれたお百姓さん、それを売ってくれるお商売の人たちや、お母さんお父さんに感謝してそう言わせたら、保護者から厳しい苦情がきて「私の家では給食費を払っている。いただいているのではない。子供が卑下するではないか」とのことだったらしい。これでいいのだろうか。これで正常な心を持った子供が育っていくのだろうか。

時代小説に戻す。昔は(江戸時代)成功して大店の主になった人は、社会に貢献するために、長屋を建てて町人や浪人を安い店賃で住まわせた。これを裏店という。長屋は、その主の名前を冠にして、「長兵衛長屋」とか「田兵衛長屋」とか呼び、長屋の入り口には柵が設けられてあり、出入りを監視していた。そしてそこに住む庶民たちは、お互いに助け合った。米や味噌や醤油は、なければ貸し借りした。その雰囲気は私の子供のころには残っていたが。それが今ではなくなった。

同じマンションに住み、同じセキュリティで暮らす仲間であっても、隣との付き合いはほとんどない。良い意味ではプライバシーが守られているともいえるが、個人主義とも言える。隣で殺人事件があっても変わらない。そんな世の中になっている。これを良い事とするのか、改善が必要とするのかは別として、難しいややっこしい世の中になってきている。それも今の心の荒廃の因になっているように思うのだが。

橋下知事がこの土曜日に徹夜で二つの組合と労使交渉した。例の給与をカットするという改革案を了解してもらうためである。しかし物別れに終わった。当然の流れである。こんな程度の交渉で、承諾するなんてことになったら、労働組合の幹部は責任を問われて大変なことになる。だから、揉んで揉んで揉み倒して、その結果どういうところに着地するかと言うところである。

民間では、年収2百万円以下の人が1000万人いると報じられている。官庁の労組も、そのことをよく理解して、ほどの良いところで承諾しなければ、今度は怨嗟の目標になり、橋下知事の評判が上がりすぎて、この後やりにくくなるのではないかと思う。私個人は、橋下改革案に賛成である。公僕たる官庁の人たちは、こんな厳しく苦しい時代には、「隗より始めよ」の名言を思い出してもらったほうがいいように思う。大阪府が再建管理団体に落ち込んでは、元も子も無くなるのだから。

しかし労組幹部たちは、知事は不当な賃下げを押し付けていると、叫ぶんだろうなぁ。空気を読まないと大変なことになりそうである。老婆心である。ただしこの給与カットは、労使妥結条件ではない。府議会で可決されたら条例で発効することになる。

今週の政治、6月16日

人生には「まさかの坂」があるのだが、そのまさに「まさかの坂」が起こった。土曜日の朝、東北で大地震が発生したのである。地震は防ぎようがない。近くでは中国の四川省の大地震があったばかりである。テレビが映し出す様子は、悲惨と言う言葉そのものである。いつなにが起こるかわからない。素早い救出の手を打って、人的被害を最小限にとどめてもらいたい。事故にあわれた方々に、心からお悔やみとお見舞いを申し上げる。

後期高齢者医療問題が引き金となって、福田総理に参議院で問責決議案が可決された。憲政史上初めてだということである。しかしこの問責は法的には何の拘束力も持たない。「ただ貴方は信任しませんよ」という程度のものである。しかも国会閉会の数日前の提出であった。当然のことながら総理は、衆議院の解散は考えていないと表明した。そして次の日、衆議院で今度は福田総理の信任決議案が可決された。対抗して帳消しにしたのである。これもおかしな話しであって、子供の喧嘩みたいなものである。

この問責決議案の提出可決の陰で、予定されていた党首討論が中止となった。小沢さんは討論は得意ではなく、それを避けるためにこの時期に問責を提出したのだと言われている。そんな馬鹿なことはないと思うが、もしそうだったとしたら一国のリーダーを目指す人にとってどうかな?と首を傾げる。後期高齢者医療問題について、びしびしと政府を追及してもらいたいと思うのは、私一人ではあるまい。政治家は行動はもちろんであるが、言葉が命である。まず言葉で人を納得させ、人を引っ張らなければならない。私は全ての世界でリーダーは言葉が命であるとさえ思っている。

昔の政治家の中に、見事な話しで説得しリードした数々の人たちがいた。少し前には田中角栄氏が上手かった。人を引き付けた。近くでは小泉総理が上手かった。しかしその田中さんでさえ、言葉を失ったとたんに第一線から退かざるを得なくなった。福田さんも小沢さんも話しが下手である。言葉が生きていないし躍動していないと思う。だから最近の国会中継は面白くない。特に小沢さんは下手である。ご自身の政治の力を言葉で表現できていない。この人が総理になると、ますます討論が減るように思うが・・。そんなことは今週の話題には直接関係がないので話しを変える。

某紙朝刊に、民主党の副代表である前原さんが、参議院選挙で小沢民主党が掲げたマニフェストのうち、農家に対する補償制度について、「その財源は、行政の無駄を省くことだけでは捻出できない」と某雑誌の対談で述べたことに対して、民主党の農政を担当する複数の代議士から厳しい批判を受け、退場勧告まで受けたことが報じられた。元々前原さんを始めとする若手の代議士と、小沢さんとは考えが異なっている。

しかし、同じ党に居たとしても、考えが異なっていても不思議ではないと思う。一枚岩と称して上が言ったことは全て正しく全ての人が賛成するなんてことの方が、かえって恐ろしくてならない。

しかしこの話、前原さんが発言者だから、そう簡単なことでは済まなそうである。民主党の中で、政策とその進め方については、大きな隔たりがあることを表に出したことになる。民主党の中で右の人は、自民党でも右に入るくらいであり、左の人は、共産党と同じ考えの人も居る。良いように言えば幅が広いともいえようが、もし政権をとったとしたら、内部で調整がつかないのではないかと思われる。

自民党の中でも右から左にそれこそ大きな幅があり、政治が名実ともに安定するためには、どこかの時点で、政界再編が必要なことは誰にも納得できることである。それでは執行部と考えの違う人は党を出れば良い、と言うのは簡単だが、これまでの歴史が物語っているように、党から出てこと「志」を遂げた例は一つもない。遠くは、河野洋平現衆議員議長も、当時の田中角栄首相の金脈問題を批判して志を遂げるために数人で自民党を出て新党「新自由クラブ」を立ち上げた。しかし上手く行かず最後は自民党に復党した。これまで何人もの有意なる人たちが出ては失敗出ては失敗を繰り返している。

かく言う小沢さんだって、自民党を出て、様々な党を作っては壊しして、彷徨し、ついに民主党と合併したのである。そんな歴史を知っているから、党を出て新党を作ろうとしても、怖くて踏み出せない。小選挙区制となった今は、更に難しくなっている。代議士は落選したら唯以下の人になるからである。

日朝実務者会議が久々に再開し、拉致問題を再調査するという回答が北朝鮮側から出された。同時に「よど号」事件の犯人を送還するために協力するとも言ってきた。よど号事件が起こった時、私は前職場の某支店に役席の一人として勤務していた。1970年だった。世界共産主義革命を目指す赤軍派の9人の男が犯人であった。この人たちが、拉致事件に関係していたとされている。

私は、拉致された人たちが一日も早く帰還できることを強く希望しているので、このことが半歩前進だったら嬉しいのだが・・。北朝鮮はこれまで数々の不誠実なことを繰り返しているから、拉致事件再調査といわれても、調査した結果前回と同じだったといわれてしまうのではないかと国民には不信感が強い。

しかしこの拉致事件は、人事(ひとこと)ではない。何時我々の身の上に降りかかってくるかもしれない。そんな時、国は国民に対してどうしてくれるのか、国は国民を守り助けてくれるのか、という信頼関係に、この拉致事件をどう解決に持って行ってくれるのかということが強く関わってくるのである。政府は腹を括ってもらいたい。

先週はなんと言っても秋葉原の無差別殺人であろう。考えられないことが次から次に起こる。「人を殺したかったから」とは、何と説明しても理解できない理由である。親に対する不満や職場に対する不満を理由にして、こんな大それた犯罪を犯す犯人は厳罰にするべきである。それを社会のせいという評論家もいるのだが、その考えの方がもっと怖い。犠牲になられた方々には、なんとお悔やみ申し上げていいか言葉もない。そして明日はわが身である。

これもテレビで報じていたことであるが、先生が生徒にピアスをしていていることを注意した。すると生徒はそれを無視したばかりか、汚い言葉で食って掛かった。胸倉を掴まれたので怖くなって先生は生徒を平手打ちにした。生徒は先生を押した。先生は生徒の首を絞めたとされている。それがその生徒の保護者が知って、学校に猛烈な抗議がされた。校長と教頭とその先生は生徒の家を訪れ土下座して謝ったらしい。

この件については実際に見ていないから、これ以上のコメントは避けるが、これでは先生の成り手が少なくなるのは仕方がないかなぁと思う。実際先生の中には、うつ病で休職したり退職したりする人が増えているらしい。保護者からの激しいクレームが一つの大きな原因と言われている。家庭の教育が大切と言われて久しいが、一部の保護者はすでに子供の躾を放棄している節があるようだと言われている。このままでいくとわが国は、とんでもない無秩序な国に成り下がってしまいそうで怖い。

大きな期待を受けて登場した韓国の大統領であったが、米国産牛肉の輸入問題で支持率が急落して、とんでもない窮地に立っている。今や権力者も世論の前には無力であることを立証した形となっている。日本でも同じことである。選挙で支持されて当選した国会議員から選ばれた総理大臣であっても、世論に耳を傾けないととんでもないことになる時代がやってきたのである。為政者受難時代、社長もまた然り。上に立つものはそれなりの覚悟で取り組まないと大変なことになる。厳しい世論が社会の暴走のブレーキの役割を果たしていけば結構なことであるのだが、それだからと言って回りを気にしすぎて、世論に流されて、何も出来ない為政者はもっと度し難いものである。

歳を重ねて、75歳になったら後期高齢者として区分けされること一つを取ってみても、今の政治には愛情のかけらもないことを実感する。与党は沖縄で手痛いしっぺ返しを食らった。沖縄県で与野党が逆転したのである。これはこのまま何の手も打たなかったら、来るべき解散総選挙には大きな影響を及ぼす気がする。民主党に本当の政権担当能力があるかないかも問題だが、今の政治を変えるのには、政権交代しかないと考える有権者が増えるのではないかと思う。

官僚に振り回されている現在の政治では、庶民の生活は良くならないのではないかとの疑問も出てきている。先日成立した公務員制度改革法案の施行が、骨抜きにならないようにお願いしたいものである。
日銀は今月の金融政策決定会議で、政策金利である無担保コール翌日物金利(年0.5%)
据え置くことを決定した。そして「国内民需の下振れリスクを注意深く見守っている」「リスクは景気が下振れ、物価は上振れを意識している」と述べた。要するに、個人消費は悪くなるよ。景気は停滞から低下する可能性が強く、物価は上がるよ。ということである。どうも日銀の発表することは回りくどくてならないが・・。まぁ多くの国民が予想している通りのことを言っているだけである。

今週の政治、6月9日

大阪府の橋下知事が、財政改革案を発表した。その中の目玉は、何と言っても職員給与のカットである。4%~15%のカットを立場や年齢に応じて行うという案である。少し以前なら考えられないことであるが、よくやってくれるなぁと高く評価したいと思った。

当然のことながら、立場からして賛成できない人もいる。労働組合の幹部であれば、反対するのは当然のことである。しかし、それでは話が前に進まない。では府民はどう思うだろうか。職員や職員の家族も府民だろうから、この人たちは賛成はできないだろうが、私などは、まず「隗より始めよ」の諺どおり、官が改革するためには、その中にいる官、すなわち公務員からまず範をたれなければならないと思うから、この改革案に賛成である。民間はもっと厳しいリストラを越えてきているのである。

大阪府立体育会館は存続が決まり、ワッハ上方は縮小して今の場所から撤退することになった。たしかに年間の賃料と管理委託費が約3億円後半ともなれば、今の大阪府の財政状態から考えたら、縮小移転は止むを得ないかもしれない。そもそもワッハ上方は、横山ノック知事の肝いりで、府民や関係者の強い要望にこたえる形で吉本興業がビルを建て、それを借りて大阪府が開館したものであり、私も演芸場(約400席)を利用させてもらい、寄席を開催したことがあるし、資料館も覗いたこともある。

前が吉本劇場なので、現在の場所は笑いの発祥地であり、笑いの資料館としては絶好の場所にある。撤退とは残念なことであるが、相撲と笑いの重さが知事の頭の中では軽重があったということであろうか。いやそうではない。府立体育会館は黒字を計上しているのにたいして、ワッハ上方は大きな赤字であり、毎年上記した様に巨額の補助金を府が負担しているのである。これでは止むを得ない。

他にも存続が認められた施設が何箇所かある。この改革で約900億円の節約となる。しかし職員給与のように、まだ組合が了解していないものもある。果たしてこの改革、成功できるだろうか。大阪府のこのダイナミックな動きをみて、全国の都道府県はみな改革に向かって前進の姿勢を見せるだろうと思う。それだけではない。市町村も改革に向かって進みを始めるであろう。どこの公共団体もみな大なり小なり同じ状況である。ただし東京を除いては・・。

我々民間人は、昔から言ってきた。官庁は人が多すぎると・・。半分の人数でいけるはずだと・・。それに給与とボーナスが保証されているし、絶対潰れない。この絶対潰れないということが、実は一番曲者なのである。努力してもしなくても、どうせ大したことにはならない。努力して眠っている蛇を出したりしたら、その方が困るのである。自分だけが頑張りすぎると、周りからいい目で見られない。仲間から外されるかもしれない。だから出過ぎない。しかし休まない。そして目一杯働かない。だから人が多く必要になる。人件費はうなぎのぼりである。そこに一石を投じた形が大阪府の橋下改革である。府民の大方はこの改革に賛成している、はずである。

国会では、公務員改革法が通過した。現在の官僚制度は、遠く明治維新のときに、大久保利通が作った制度であり、これまで140年間続いてきた制度である。それを変えようとするのだから、革命に似た新法案が与野党の合意で国会を通過したのである。今までのような、官僚バラ色の世の中ではなくなる。はずである。

最高学部の最高学科を優秀な成績で卒業する学生の中に、官僚になりたい人は確実に減少しているらしい。公務員のエリートで入省した優秀な学生は、一人が事務次官になったら全員が退官することになっている。それから天下りして、官僚時代の倍以上の給与を保障され、社用車付個室付秘書付の優雅な生活が保障されている。だから官僚時代は割合薄給でも、先が洋々としているから入省したい希望者が多いのであった。言い換えれば、一生食い外れがないからである。ここが民間と大きな違いである。

これが法案どおりにいけば、根底から崩れるのである。官僚にとっては、一大事である。法案は成立したが、その運用を巡って、官僚たちと政治家たちの血みどろの戦いが始まるであろう。今の政治家も官僚も、国家国民の方を見てはいないのではないかと思われる節が多い。少なくともそう映るのである。私の知識からしたら、明治の政治家は命を賭けて国と国民を守るために闘ったと思う。

いまや、政治家も官僚も自分たちさえ良かったらいいとの考えでしかないのではないかと疑いたくなる。こんなことでは日本の将来は暗い。次の衆議院選挙で国民がどんな審判を下すのかは大きな関心事である。私は、これからしばらくは辛抱の時代が続くものと思っている。言い換えれば、今以上に恵まれた世のなかはそうそう来ないということである。みんなが少しづつ辛抱して、次ぎの飛躍の時までの間に、力を貯めるときではないかと思う。月も満ちれば欠けるの例えもある。今はそんな時である。

大きく変わったものの最たるものは、人の心である。考えられない凶悪な犯罪が、どこにでも居る平凡な人間によって引き起こされる恐怖は、計り知れないものがある。昔話では、道端に倒れていた男性を家に連れて帰り、介抱して元気になって、涙を流してお礼を言って帰ってから十数年後、今度は逆に困っている昔の恩人の家に現れて、昔の恩を返すという教育的なむ話に涙を流して聞き、自分も大きくなったら、困っている人をみたら助けよう、助けてもらったら恩を忘れず必ず返そうと思ったものであった。長谷川伸の新国劇の名舞台場「一本刀土俵入り」もそんな話である。

今や、親切にして家に連れて帰り、飯を食わして一泊泊めて介抱でもしようものなら、その晩に家族皆殺しにされて、金品を強奪されるということになりかねない。道で絡まれている人を助けようとしたら、逆に刺され大怪我ならまだしも、悪く行けば殺されてしまう。その時、絡まれていた人は、今度は助けようとせずに、どこかに逃げ隠れてしまうのである。昨日秋葉原で残忍な無差別殺人が行われた。

それも普通の範疇に入る若い男の反抗であった。これが現在の世のなかである。こんな国がこれ以上よくなるはずはないではないか。と危機感を抱くのは私一人ではあるまい。しかし自分だけでも正義感を失わないぞ、と力むのもまた危険である。もしも刺されでもしたら、笑われ者になるだけだと言う情けない世の中になってしまった。

話を戻そう。府の改革の話である。問題は、給与のカットがどれだけ実行できるかである。給与が下がったら、職員や先生のモチベーションが下がると労働組合の幹部は声を揃える。たしかに給与は低いよりも高いほうがいいが、高かったら必ずモチベーションが上がるとは言い難い。今モチベーションは高いだろうか。それはどの世界でも一緒だが、その人の志の高低によって違うということである。

このままでズルズル行けば、府は国の再建管理団体に落ち込んでしまい、全ての分野で徹底的にそぎ落とされるのである。その一番目が、職員の給与であり、人員の削減である。そうならないように、橋下改革は絶対実行しなければならないのである。私はこの案に賛成である。土曜日にテレビ出演した知事の話を聞いた、なかなかよく考えて、困難を万難を排して立ち向かっていると感心も得心もし、心から応援しようと思ったのである。

民間企業も同じである。原油価格の高騰で、物の値段が上がり、企業収益の足を引っ張る。やっと抜け出しかけた厳しい状態が、また戻ってきたらどうしよう。みんな心配している。更なる改革改善が必要である。今年は政府が言う2%の経済成長は、どうやら難しいようである。

夢まちOMOIYARIフェスタ2008 8月10日、大西ユカリ&木村充揮、無料エコライブが開催されます。

8月10日、大阪府羽曳野市、峰塚公園野外ステージにて、大西ユカリ&木村充揮の無料エコロジーライブが開催されます。詳しくは、ホームページをご覧下さい。夢まちOMIYARIフェスタ http://shiruya.xsrv.jp/1.html

テーマ : 邦楽 - ジャンル : 音楽

 | BLOG TOP | 

プロフィール

こんこん

Author:こんこん
ひまわり大好きmini向日葵Clubのブログへようこそ!

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

ブログランキング

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。